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26年目の阪神大震災


明後日 1月17日は26年前に「阪神大震災」が発生した日。(1995-H7, 1/17 am 5:46)
たまたま神戸灘区に家族で帰省中の妹家族が震災に合い避難所を転々としていた事が今でも記憶に新しいところです。妹たちはマンション11階で被災し箪笥が正面でなく横向きに横転したこと、マンション自体が揺れた結果玄関ドアが一時開かなかったと後に言っていたように思います。
この兵庫県南部に発生した都市直下型の自然災害、それまで甘んじていた「常識・認識」を覆し、様々な点で「防災」の考えを大きく変った出来事であり現状の防災対策の出発点になったと認識してます。
この書籍「表紙」は、日経BP社さんが26年前に発生当初から1ヶ月間を避難生活・救護・消防活動など様々な切り口でまとめたもので2ヵ月後の3月30日に発刊されました。甚大さを伝える意気込みを感じます。私もこの記憶を忘れないための購入を覚えています。

業務である「住まい造り」の点でも地震に対する認識が大きく変りました。発生するまでは家も数を造るステージだったでしょうか。今では耐震性能も住まいの基本(重要)要素と認められる様になりましたが、大地震は起こらないだろうという馴れやそれだから耐震性はどうでも良い雰囲気があったのも事実です。しかしこれ以降、現実直視として法も私も取り組みも変りました。(住まいの耐震等級と省エネ性の確保は標準仕様ですね。)

さて発生日が近くなりコロナ禍という訳でもないですが、すでに忘れている書籍内容に目を通した次第で、出来たらこの頃の現実感を共有出来たらと思い何点か資料を添付します。その後も毎年の様にどこかで起きる地震・水害・台風などの災害記憶、どんどん上書きされてしまいますが、避難所や災害ボランティアなどこの震災が起点になっていると思います。
(出典元:阪神大震災の教訓 日経BP社)  指田建設 Kazuri

※文庫本「この国の失敗の本質 (ノンフィクション作家 柳田邦男) Ⅱ大災害と生存の条件 (P75~)
柳田さんの視点でその時の情景が多面的に書かれています。これからの市民自治や暮らしの点でも参考になると思います。

・(俯瞰) 被災マップ

被害の現実 (被害-1 ~ 9) ※ネット内にも多数あり。

※ ルポ 「その日から1ヶ月」
① 被災者の生活 → 「21万人が “わが家” を求めて
この国の今にいたる防災対策の始まり。行政職員も被災者となりマンパワー不足。
事前対策不備の顕在化。誰でも経験するであろう非常時の心の変化。

② 救 護 → 「遅れた初期活動、活躍したボランティア
萌芽期 災害ボランティア。

③ 消防活動 → 「消せない火が被害増幅、悪夢の1週間

建築界の対応 → 「史上最大の被害に直面

交通網の復旧 → 「陸路はズタズタ、もしもラッシュ時だったら・・・

ライフライン(非情報系) → 「町の機能が瞬時にストップ、住生活はガタガタに

ライフライン(情報系) → 「災害に強かった無線とパソコンネット
情報環境も進んだ現在、26年前の環境です。まだまだ個人での携帯電話やネット環境の普及途中でしたね。

Ps. 内容は26年前の写し絵です。その後の検証・改善をしつつ今があると思います。しかしこれを元に災害の際自分に何ができるかをを想像することも防災対策ではないでしょうか。