skip to Main Content

東日本大震災とコロナ禍

「コロナ禍」のなか、気持ちを記しておく事も良いかなと思い書きます。
あくまで個人の気持ちであり今の「モヤモヤ」を少しでも解消するのが目的です。


2011(H23) 3.11 に発生した「東日本大震災」。
狭山市でも「震度5弱」という初めての揺れを感じました。地震規模のマグニチュードも9.0を記録し、死傷者数も災害関連死を含め2万人余りになり、そして「安全神話」の名の元にあったはずの原発で事故が発生しました。この頃はゴタゴタの続く「民主党政権」の時代でしたね。
住宅業界でも東北地方にある住宅部品・部材の企業が被害に合い建設工事に支障が出たのを思い起こします。

この時、心に思った事がありました。それは「この甚大な災害復興を機にこの国、日本のかたちが変わるのではないか」というものでした。そこには変わってほしいという願望もあったかもしれません。(ただ何に対し変わってほしかったのかは、”すみません” 今は判然としませんが。)
その後を勝手な見方で書かせてもらえば、被災者の救済と生活復興のインフラ整備を早々に行ったことは当然としても、進め方の点で地域独自の考え方や風土・文化、生活の仕方など民意をくみ取ったものであったか疑問に感じるのです。震災を経験したときはこんな風に感じ、経済成長の頃の「土建国家」という言葉が浮かんだ気がします。
今後も益々の復興と犠牲者のご冥福を祈りたいと思い、また阪神大震災も忘れません。

そしてあれから9年が過ぎ、今の「コロナ禍」。
「第2次世界大戦」以降で、最も社会や経済に大きな影響を与えていることは間違いありませんね。

さて、皆さんの労働環境もいやが応うにも形をかえ、「在宅勤務」・「テレワーク」・「リモートワーク」・「インターネット飲み会」とすでに対応はバッチリでしょうか。あるいは以前の規則的な通勤・勤務を今とくらべどの様に感じられているでしょうか。しだいに「コロナ明け」後の社会のあり方が話題になってきています。
ここ2~3ヶ月で感じるのですが、「コンビニに行けばなんでも有るから大丈夫だぁ」ではないのですが、社会構造の絡み合いや関係性がいかに深いかを思い知らされ、また経済の血液でもある「お金」が回らないことの怖さと先々の不安を覚えるところであります。この環境下、すでに感じている方もいらっしゃるでしょうが、この時間は自分の再認識・再確認と今後の社会やその中での生活のあり方を考えるためにあるとも言えるのではないでしょうかね。

今は「自民党政権」の現在。何か大震災の時の「民主党」の裏返しを見ている様な気がしてなりません。そしてその時思った言葉、「この甚大な災害復興を機にこの国、日本のかたちが変わるのではないか」が顔を出します。しかしこの機は、世代を越え「共通に大事にする何か」を一つひとつ獲得していく時期とも思います。